
MATRIX ENERGETICS®
マトリックス・エナジェティクス
認定プラクティショナー 有 希
私は改訂された新条件をクリアし、2014年初夏にアメリカ人ティーチャー達からプラクティショナー認定を受けた初の日本人です。
我々の時からは練習量が以前の2倍(60回/時間→120回/時間)に増え、さらに理解度チェックテストが新設されていました。さらにその後、アメリカでは2014年3月に新たに出版された『M-Joy Practically Speaking: Matrix Energetics and Living Your Infinite Potential 』(メリッサ・ジョイ・ジョンソン著)を読むことも必須となりました。私は認定プラクティショナー達の質が落ちたことが、すべての原因であろうと思っています。
二年がかりでようやく認定プラクティショナーになったものの、日本での現状に絶望した私は一年未満で表での活動を諦めることにしました。その時にもらっていたマトリックス・エナジェティクスのロゴを廃棄し、アメリカのMATRIX ENERGETICS®のHPで認定プラクティショナーとして紹介してもらうのも取りやめました。アメリカのオフィスから、どうして自分の自己紹介欄を削除したいのか理由を聞かれましたが、本当のことは言えず、「ええっと。。もしかしたら、いつか戻るかも。」と返信しました。
その時は、まさか、このようなHPを書くことになろうとは想像もつきませんでした。
皆さんは、奇跡を信じますか?
セミナー受講履歴
2012年
レベル1,2,3
2013年
基礎セミナー
プラクティショナー養成セミナー
2014年
基礎セミナー
プラクティショナー養成セミナー
2015年10月 ~2016年9月
約一年間、月に1~2回開催された
全ウェビナー受講(約20回)
2016年
基礎セミナー+1(イタリアにて)
2016年2月 ~9月
M-Joyフィールド・ウェビナー(計14回)
上記のほか、勉強と研究を兼ねて
Dr.バートレットのプライベート・セッション2回
Dr.バートレットのグループ・セッション3回
メリッサ・ジョイさんのプライベート・セッション1回
メリッサさんからは、セミナー中にも合計4回セッションを受けています。
彼女は2012年9月のセミナーで会場に座っていた初参加の私を一目見て、「この人は、日本のセミナー会場を象徴する女性性の問題を抱えている。」と感じ取ったようなのです。それから、毎年1~2回私をステージの上に呼んでマトリックス・エナジェティクスをやってくれました。すべてはここにつながっています。

黄金の大地

道

幸せな時間
以下はマトリックス・エナジェティクスではなく、ロックとジャズを聴いていた私に起こった経験です。
『瞬間的意識の変容』と『右脳が起こす現象』がどういったものかがわかりやすくなるかもしれないと思いまして。。
15歳の頃、あるアーティストをTVで見て『この人に会う!英語がしゃべれるようになりたい!』と強く感じました。
あの晩、小さかった私の世界に突如新しい人生の可能性が流れ込んだのです。
翌日からそれまで白黒のようなだった世界が、色とりどりの鮮明なものに!世界がバラ色というやつです。ですが、当時はインターネットもなく、周囲は田んぼだらけ。私は西洋の人を生で見たことが一度もありませんでした。英会話を学べる場所などもありません。そんな中でどうやって。。
ところが、英語の授業を受けていたら、「あれ?うちの担任の先生。。よくみてみたら、小林克也さんみたい。。歳は近いし、めがねをかけてるし、しかも、同じように声がよくて、英語の発音は上手いし、テンポがよくてリズミカル!」
いきなり目の前が。。『ベストヒットUSA』の世界に見えてきたのです。。それ以来、授業が毎回、楽しみになってきました。
それ以外にできることを探してみたら、ラジオ英会話が。早速、本屋に行ってお小遣いでテキストを購入し、毎日雑音と闘いながら、余裕があれば朝と夕方の二回、一生懸命耳を傾け、家族に聞こえないよう外国人の真似をして英語的な発音を繰り返しました。後はラジオやテレビで行われた大好きなロックスター達のインタビューをテープに録音したり、ビデオに録画して何度も聞きました。多少難しくても好きという気持ちがカバーしてくれるので、ストレスがなく、楽しいのです。
そうしているうちに、英語の成績はうなぎのぼり。私が通っていた田舎の高校で英語的な発音などしようものなら、ばかにされますからクラスメートには内緒でやっていました。ところが、担任だった英語の先生が私が隠れて勉強していることに気づき、のんきだった私のためにお金をあまりかけずに進学できる県外の短大を探し、親を説得して下さったのです。そこで知らない人達に囲まれた私は今度は貪欲に英語を学びました。お金がなかったので無料で教えてくれる外国人のところにどんどん行き、自分の授業がない時間も学校の施設を利用できるだけ利用していたら卒業する頃には成績優秀者になっていたみたいなのです。ですが、相変わらずのんきで将来のことなど何も考えずにいたら、今度は短大の担任だった教授が地元企業の東京支社に紹介してくれました。
なんと、そのおかげで。。夢だったあの憧れのロックスターに会えることになったのです。私は普通の人間ですから華やかな世界になど知り合いはおらず、コネも情報もありませんでした。当時はネット社会ではなく、携帯電話もないので一般の人には情報は回ってはきません。私にあったのは、想像力、直感、会って感謝を伝えたいという思いのみ。それを生かしてくれるものが、ハートです。あの時は本当に冴えていました。パパパッ!とやるべきことが次々閃き、考えるより先に身体が動く感じで速い速い!
ですが、実際に相手を目の前にすると、かっこよすぎて胸がいっぱいになってしまい、思うように口から言葉が出て来ないのです。。それでもなんとか書いていた手紙を手渡せました。その手紙はそれまでの人生で書いた中でも最高の出来。頭で考えるのではなく、ハートがどんどんしゃべっていく感覚で、なかなかに茶目っ気の効いていたように思います。
もしかすると、あのロックスターも楽しいと感じてもらえたのでしょうか。。来日コンサートが終わった数日後、彼から’Thank you for your letter.’ と書かれた自筆の葉書が届いたのです!忙しい中、読んでくれただけでも幸せなのに。。もう夢みたいでした!
私はあのアーティストの曲に励まされ、楽しい気分にしてもらい、世界が広がりました。あの晩から何年間も毎晩寝る前、彼だけでなく、彼の周囲の人達にまで心から感謝していました。
『まっすぐな思い+感謝』は無邪気。邪気がない。それには、ものすごいパワーがあるんじゃないかなーと思うのです。マトリックス・エナジェティクスもそういうものは、応援してくれるように感じます。
アメリカの超有名大学の教授が「頭がいいか悪いかは遺伝によるもので、家系的に優れていないならもうおしまい」というような内容の本を出版しているらしいとネットで読みました。まるでマインド・コントロール。子供達がそんな話を信じたら、自分の可能性を狭めてしまうと思います。ひどすぎ。
マトリックス・エナジェティクスは役に立たなくなった過去の常識を覆し、この世に新たな希望を生んでいくものですし、直接会ったこともない人の話など信じません。常識なんて10年後には変わるのが常です。なにより私は親達よりもずっとずっと優秀に育っている子供達を何人も知っています。本当に驚くばかり。
ところで、アメリカのある科学番組で西洋の量子物理学者には楽器の腕前がプロ並みの人が多いと聞きました。
私には、なんとなくなるほどー!なのです。彼らにとっては数式も音符も似たものかもしれません。楽しいのだから、ハートの言語なのです。
量子物理学者の中には研究を極めていくうち、神の力が働いているとしか思えない、という結論に至る人達がいるそうです。そうなると、当然、『あいつはやばくなった』と陰口を言われることになるようですが、自分が経験しなければ話が通じない世界というものがあるのでしょう。
TVの中の量子物理学者達は目をキラキラとさせながら科学の話をし、楽しそうに皆で即興演奏をしていました。
演奏と言えば。。私はスピリチュアルの世界など全く知らなかった20代の頃、興味深い経験をしました。
当時勤めていた会社の先輩達と、アメリカからやってきた有名ジャズトリオのライブに行った時のことです。
ロックコンサートには月一回以上行っていた頃ですが、ジャズの生演奏を聴くのは初めて。
どう聴けばいいのかな?と思いながら、三種類の弦楽器の音それぞれに耳を傾けてみました。すると。。床の方、真ん中辺り、そして、頭の辺りを三種類の音符が流れていくのが見えてきたのです。低音、中音、高音の順です。演奏中なので誰にも話しかけられないまま、『一体、これは何だろう??』とびっくりしていました。ちっとも不気味ではなく、なんだかとてもすてきな時間でした。
音楽には、右脳を刺激する力があるようです。
後で思い出してみると、画像が浮かぶような経験は既にありました。なぜか誰にも話さなかったのですが、高校生の頃に自分の部屋で音楽を聴きながらマジカルな経験をしていたのです。ものすごいエネルギーがハートの辺りで動くのを感じたり、心がどこか遠くを旅したり、周りから壁が無くなっていたり。。
人それぞれにハートの扉を開ける何かがあるのではないでしょうか。
私がマトリックス・エナジェティクスをやっている時は、私の右脳につまっているものがよく現れます。たぶん、エンターテインメントの世界のものがかなりの割合を占めています。
うわあ! すごい! かっこいい! 楽しい! ステキ! いいな!と、これまでの人生で感じてきたものではないかな?と思います。
そのためか、セッションでダンスをすることもあります。最初は戸惑いました。セミナー中は練習になると、踊りまくり。本人はいい年をして、
*私は、決して不思議体験を奨励してはおりません。一般社会を混乱させたり、子供達に悪影響を与えるようなことは絶対にしたくありません。マトリックス・エナジェティクスのフィールドにいる時はちょっと変わった人になることはありますが、表でみせびらかすようなバカげたことは私はやりたくありません。
科学的な説明の助けになればと考え、自分の経験をお話ししています。
既に他のところで紹介していますが、Dr.バートレットが2016年にパトレオンでオリジナルの音楽を発表するようになりました。私は日本でのセミナー受講中から『マトリックス・エナジェティクスと音楽を組み合わせたら最強だろうな!』と想像していたので大興奮!
『先生のやることだから、今度は何が起こるんだろう?楽しみだなあ!』とすごくわくわくしながら聴いてみたら、おもしろいことが起こったのです。
まず最初は、『PURPLE REIGN MASTER』という曲。これは、マトリックス・エナジェティクスのフィールドをそのまま表したような曲だと感じました。聴き始めた途端、大海原を颯爽と泳ぎ渡るイルカ達のイメージが頭の中に浮かびました。楽しくてダイナミック!気づくと涙がハラハラこぼれていました。ある朝、胃が痛かったのですが、その曲を聞いているといきなりマトリックス・エナジェティクスが起こったのです!はっきりとわかり、聞き終わった後には痛みが消えていました。
当時の私は精神的に疲れ切っていて、誰にも会いたくない気分でした。『TRIUMPHANT MARCH INTO AUSTRIA』という曲はなんだか優しくて、それを聞いていると安心できました。Dr.バートレットにとっての家族の思い出がつまっているからかもしれません。
『PAGAN FOR MOORE』にはタイトルにジョークが含まれているらしいのですが、意味を調べていたら大爆笑。私を含むマトリックス・エナジェティクスの大ファン達のことでしょう。曲自体はすごくすてきで、若い頃によく見ていたヨーロッパ映画の世界を思い出しました。
『TWIRLING』という曲は、「私はやっぱりスピリチュアルの世界に閉じ込められていたくない!自由に映画や音楽を楽しめていたころに戻りたい!」という気持ちを呼び起こしました。同時に「バートレット先生はスピリチュアルの枠の外に出るべきよ!ヒーラーの人達にあなたの曲はわからないよ!もったいない!絶対にロックファンや映画ファンの方に向けてやるべき!」と強く感じました。私はメリッサさんに対しても、この人はスピリチュアルの世界から切り離してあげたい!と感じていたのです。ですが、もちろん一人で思うだけで直接は言えませんでした。
こうして再び自由に自分の感情や思いを表に表現できるようになったのは、Dr.バートレットの『EMOTING』という曲のおかげのようです。聴いた時は興奮してしまい、それまではなるべく目立たないようにと心がけていたのですが、「COOL!(かっこいい!)」とコメントを書かずにはいられませんでした。そのタイトルの単語の意味を調べてみたら。。『感情を表に出すこと』!その時の私にとって、もっとも必要なことだったのです。それをやっていいと言ってくれるスピリチュアルがあるなんて。。
その頃同時にメリッサさんのMJoyフィールドともつながっていたので、『TRUE AUTHENTHIC SELF(本当の自分)』というフィールドの影響もあったと思います。ティーチャー達は逆にどんどん殻に閉じこもっていく私をなんとか引っ張り出そうと、あれやこれやと手を尽くしてくれていたのでしょうか。。
私にはスピリチュアルの世界で聞く『宇宙』が、一体何のことだかさっぱりわからなかったのですが。。
『ALL SAID DONE』という曲に宇宙を感じました。
一部のヒーラー達から話に聞く『宇宙』は大嫌いでしたが、そちらのものとは全く違う、美しく厳かで、とても静かで心が落ち着く場所。光明、神聖、希望、期待、生命の誕生。。 そういったイメージが浮かんできて癒されました。私の宇宙は、こっちがいい。
マトリックス・エナジェティクスは『NO WAY AS WAY』。こんな風に、やり方に決まりはありません。
数ヶ月前に初めてのマトリックス・エナジェティクスのセミナーを受け、認定プラクティショナーになること決めた私はものすごく苦手な科学についても少々がんばって勉強してみようと考えました。すると、そう考え始めた途端、テレビで次々とちょうど知りたかった分野についての番組が次々と放送され、しかも、「次は○○について、もっと知りたいな。。」と考えだけで、それが放送される感じ。数ヶ月の間、それが続いたのですが、あまりに不思議で「テレビ局の人と、テレパシーでつながっているのかな?」と思うほどでした。
ある日、テレビで科学者達の講演会をやっていたので、それも観てみることにしたのですが、私にはちんぷんかんぷん。途中で女性が出てきたので、そのことに驚いて目が離せなくなりました。
「へー!この年代の女性に、日本で科学者をやってきた人がいたんだ!しかも、物理学者?!すごい人がいたんだなあ。全然知らなかった!」
などと考えながら、科学についての話はさっぱりわからないまま見続けていたのですが、最後の最後にその女性が目をキラキラさせ、興奮を抑えながら、観客に向かってこう言ったのです。
「なんと、何もわからないということがわかったんです!これがどれだけすごいことかわかりますか?」
私の心はその言葉に強く共感し、大興奮でこう叫んでいました。
『そうそう、その通り!だからこそ、この世には可能性がある!』
本当にそれこそがすごいことで、すごくすてきなことで、とても、とても、とても、すばらしいことだと思うのです!
たかが人間にすべてがわかるはずなどないのです!そして、それは素晴らしいことなのです!この世界には無限の可能性を生み出す余地が十分にあり、それを広げていくのは我々人間なのです。
*あれから何年も経って、あの時の物理学者の女性が『米沢 富美子』さんという方だったとわかりました。テレビをつけたら彼女のドキュメンタリー番組をたまたまやっていて、「あ!もしかして、あの人!」と思ってみたのです。
やはり、誰もやっていなかったことをやってきた方らしく、家族のことも研究も諦めず、海外の学会に赤ちゃんをつれて参加していたため、『子連れオオカミ』というあだ名をつけられていたとか。「何十年も前に、こんなに自分をしっかり持った日本人女性が存在したのか!」と、私はさらに驚きました。しかも、大変な努力、大変なご苦労をなさってきたようなのに、とても明るいというか、常に茶目っ気のある素敵な笑顔を表でみせてらっしゃって、すごいなと思ったのです。
上にはセミナー受講履歴などだけ書いているので、自己紹介をします。
私のマトリックス・エナジェティクスのやり方はあまりに変わっているので、我が国のスピリチュアル界では全く理解されませんでした。中には自分の勝手な想像で、事実とは全く異なるおかしな話をばらまく人達も多かったのです。誤解されたままでは嫌ですので、私の世界をお話しします。
この仕事を始める前は約10年ほど専業主婦で、町内会のお手伝いやパトロール、PTA関係のお手伝いや清掃作業、読み聞かせボランティアなどをやってごく普通に生活していました。主婦となる以前の職歴は、まずは短大卒業後にある地方銀行の東京国際部に勤務、そこで働いてお金を貯めてからカナダにワーキングホリデイ制度を使って滞在し、カナダ人達の中に入って小売店で働きました。帰国後は8年ぶりに帰郷し、昼間は派遣社員として事務・受付、簡単な通訳や翻訳、土日に店頭販売。夜はうちで大人向けの初級英会話と子供向けの英語教室をやっていました。
そのように、基本的に私は本当にごくごく普通の人です。日本のスピリチュアル界は霊が見えたり、宇宙人と交流している人達がトップにいる世界ですから、私はそちらには所属していません。
私はこれまで日本に存在しなかった職業をやっているつもりでして、職業は何と聞かれる度に困っています。
私は自分の同業者は(笑わないで下さいね。)、エド・シーランかな?と思っています。彼の『WHAT DO I KNOW?』という曲を聴いた時、自分の歌かと思いました!それに、Dr.バートレットとメリッサ・ジョイ・ジョンソンが言っていることも彼に近いのです。
既に書いたように私はお酒は結構いける口で、お肉も食べます。墓掃除と法事はやってきましたが、ほとんど無宗教。神社には、観光とお祭りだけでいいです。ガイドや天使や守護霊などもキリスト教徒の人達の信じている存在だと思いますし、古代の叡智や宇宙の秘密なども私には必要ありません。瞑想も特に改まってはしません。(Dr.バートレットは「私の瞑想は動くものだ。」と言っています。)
自然と一体化する感覚はたまにあります。また、音楽と一つになるのも大好き。マトリックス・エナジェティクスのフィールドにドロップダウンしている状態は、若い頃に音楽を聴いていた時やその空間にいる時に限りなく近いのです。エド・シーラン(イギリス出身のシンガーソングライター)がある曲の中で『ライブをやっている時は、瞑想の気分だ』と歌っているのですが、似た感じかもしれません。また、彼は機械を使って並行的に様々な音を生み出すのですが、それも私がセッションをやっている時とそっくり。他のヒーリングは一つの課題に取り組むものですが、マトリックス・エナジェティクスは並列処理するのです。それから私はマトリックス・エナジェティクスをやっている時によく踊るのですが、それも彼の♪You Need Me, I Don't Need YouのMVで起こっているものと似ていると思います。あのビデオの中のダンサーは踊りで歌詞を表現していますから。(実は彼がやっているダンスは、ずっと昔、危険だと禁止された過去があるらしいです。詳しくは知らないのですが、もしかすると力を持っていた宗教関係者達の意見からかな??)
Dr.バートレットがハート・フィールドにいる時の説明を聴いているとジム・モリソンが感じていたトリップ状態に近い感じがします。実は私が感じるものは、自分が大好きなブライアン・アダムス、デフ・レパード、ボン・ジョヴィ!
2014年のセミナー中はどうにも我慢できなくなり、会場のど真ん中に座ったまま人差し指を立てて天にまっすぐ突き上げ、上を見上げるポーズを取り続けてしまいました。実はその時の私は数万人の観客を前にステージに立つジョン・ボン・ジョヴィの気分!ハートフィールドって、それくらい最っ高!なのです!!
普段の私は、責任感も理性もかなり強い方ですが、時々ロック(そして、マトリックス・エナジェティクスも。。)は私を弾けさせてしまうのです。昔、あるロック・コンサートで気づいた時には一人椅子の上で。。セキュリティーのお兄さんが慌てて走ってくるのが見えて我に返り、大急ぎで下に飛び降りました。あの時はバンドが生み出す練り動くようなエネルギーと一体化してしまい、周囲が消えていたのです。。
当時の私は肌がセンサーのようで、場の空気を鋭敏に感じ取っていました。会場に足と踏み入れた途端、「今日は空気が違う!マジックが起こるぞ!」とわかることも。10代の頃に音楽の中にざっぱーんと飛び込む感じで聴いていたのですが、私が大好きなのはギターでした。特にツインギター!胸の辺りで音が動きまくったりするので、一体これはなんだ??といつも思っていました。時間は飛んで30分しか経っていないつもりがとっくに4時間過ぎていたり。。音楽で簡単にトリップできたのです。とんでもなく最高の気分でした。
私、思うのです。なぜ人間がお酒やドラッグ中毒になるのかというと、ハートフィールドに帰りたがっているからではないかと。イタリアのセミナーで一緒になったイギリス人母娘が「マトリックス・エナジェティクスは酔っ払ったみたいになる!」と言って笑っていたのですが、まさにそうで気の合う友人や仲間達と楽しく飲んでいる時みたいな気分になります。安全だし、安心。ドロップダウンを広めることができれば犯罪が減るんじゃないかな?何かできないかなー?と密かに考えています。
私にとってマトリックス・エナジェティクスは音楽。
大好きな曲はもう聞いた瞬間に、私の気分を変えてくれます。
笑顔にして、どこか別世界に連れて行ってくれます。
ネガティブな感情を持っていたら、それを情熱やパワーなどのポジティブなエネルギーに昇華してくれます。
ミュージシャン達の真っ直ぐな言葉、率直さ、正直さは、いつも私を励まし、癒し、笑顔にしてきてくれました。
ハートについて、最初に私に教えてくれたのは彼らです。
そして、迷った時は指針を示し、苦しい時は癒し、煮詰まったときは新しい捉え方を見せてくれました。
彼らのおかげで、様々なことにチャンレンジする勇気が出ました。
ということで、私にとってのスピリチュアル・リーダーは15歳の時から大好きなロックスター達なのです♪
冗談でも大げさに言っているわけでもなく、心からそう思っています。
私にとって、Dr.バートレットとメリッサ・ジョイはロックスターのようなものなのです。
私は前世など信じるタイプではないのですが、生まれ変わったらアメリカ人の男の子になってガレージで毎日友達と一緒に音楽の練習をやりたいなーと想像していました。(変わってますか?)ところが、マトリックス・エナジェティクスは私にとってはギターのようなものだったので、練習中はちょっと夢が叶った気分だったのです!自分の後ろから、15歳の頃から大、大、大、大、大好きでコンサートで聞くと必ずうるうるしてしまう『サマー・オブ・69』が聞こえてくるような気がしていました。
それに、私にはステージの上のメリッサさんがハートというバンドのナンシー・ウィルソンにそっくりに見えて。。彼女も女性らしくエレガント。実力もぱっちりのMEプレイヤーです!
MEマエストロのDr.バートレットは、ME小僧の私にとってのMEゴッド!(昔のギター小僧にとってのリッチー・ブラックモアと同じです!バートレット先生のファーストネームはリチャードだから、同じくリッチー♪おもしろい偶然でしょう?)
ちなみに、Dr.バートレットは音楽でマトリックス・エナジェティクスがやれますが、私は踊ってやることも多いのです。ご了承下さい。
若い頃、いろいろな人が自分の辛い経験を話してくれました。
皆、「聞いてくれてありがとう。」と言ってくれました。
でも、私は無力な自分がはがゆかったです。
マトリックス・エナジェティクスは、あの頃の「もっと何か力になれたらなあ。。」という思いを叶えてくれた気がします。
このフィールドには、ものすごい安心感がありました。
まるで、自分の存在がまるごと受け入れられている感覚!
子供の頃に戻ったかのように素直で無邪気になりました。
それまで、うちにこもって一生懸命にスピリチュアルを勉強していたのですが、もう難しいことはどうでもよくなっちゃいました。
困っている人がいたら、つらい人がいたら、落ち込んでいる人がいたら、我慢している人がいたら、自信を無くしている人がいたら、元気になってほしい。
マトリックス・エナジェティクス は、『その思いがあれば十分だよ。後は安心してこっちに任せなさい!』と、私に言ってくれた気がしました。
これなら、私にもできそう!やったー!
それだけでなく、このフィールドは『もっと自分の人生を楽しみなさい!』と、私を笑顔にしてくれたのです。
そんな暖かくて、純粋で、美しくて、楽しくて、平和的なものが、私の大好きなマトリックス・エナジェティクスです。
認定プラクティショナーの練習中にある女性から「世界平和」というリクエストを受けたことがあります。そのような壮大なテーマを私に頼まれても一体どうしたらいいものか。。 ですが、いつものようにただセッションをやってみました。
私は何もお願いしていなかったのですが、初めてのスピリチュアル系セッションにワクワクした彼女は、好奇心から様々な道具を自作して何が起こるか調べてくれたようなのです。事細かく書いてくれたレポートを読んでみたら、なんと本当に波及効果や電磁波などが起こっていたことが証明されるかのような内容で驚きました。とてもありがたかったです。
ただ、そのセッションの結果が当然はっきり出るわけはなく。。
ところが、数年経ってからいろいろと気づくことがありました。あれは私自身の人生のテーマのようでもあるような??
二か月だけ通ったカナダの語学学校のグラマーのクラスで、ある日戦争の話になりました。(そのクラスの先生がジャーナリスト出身で生徒達にディベートをさせるのが好きだったのです。)その時、韓国や台湾からやってきた子達から私一人が日本代表として責められるような状態になったのです。普段はとても優しい子も怖い顔に変わり、興奮して皆、発言が止まらなくなっていました。
最後はカナダ人の先生が止めに入り、みんな我に返りましたが、その時、『国』を背負った途端に人は意識が変わるものだなと実感しました。彼らに悪気は一切ありませんでした。ただ、そうなってしまうのです。自分の国を大切に思っていたり、自分のおばあちゃんからの話を思い出したりして反応しただけです。これも愛です。どこの国の人間も同じ。ただ、これを庶民の私達は利用されないようにしなくてはなりません。どこの国にもいい人がいれば、悪い人もいる。○○人だからと差別していたらもったいないし、我々が海外で同じ目に合っても文句が言えなくなっちゃいます。あの授業の後、あのアジア人の子達とは以前より仲良くなりました。
こんな感じで一般の人同士が草の根レベルで腹割って話してつながるのも平和への第一歩につながるかもしれないじゃあないですか。
バンクーバーに行って最初に仲良くなったのは、年下の台湾人の女の子と香港からやってきた男の子でした。二人にはよく「お父さんとお母さんは仕送りが大変なんだから、そんなに服を買うな/簡単にタクシーに乗るな!」と姉ぶって説教していましたが、お金の余裕がなかった私は二人から食べ物や飲み物をたまにおごってもらったりして。。韓国人の兄妹とも仲良くなりました。料理上手な妹さんの手料理がない時は、兄ちゃんの方と韓国のりとコーンフレークをつまみにビールを飲みながらいろいろと話しました。それだけしかなくても楽しかったな。友達って、いいですよね。女の子達は飲まない子が多かったのでお茶でしたが、私はお酒が強くていろんな国の男の子達とすぐに兄弟の盃状態になりました。若い頃の私は国籍不明な感じだったのか、あるいは、世界のどこにでもいるタイプだったのか、他の国でそっくりな人を見たことがあるとあちこちで言われたのです。ユースホステルでもたくさんの海外の人達と話しました。NYからやってきていたメキシコ人には、軍に入隊している黒人の彼氏がいるようでした。彼氏には自分の駐在地を秘密にする義務があるらしく、どこにいるかわからないままお互いに手紙のやり取りをしているようでした。ドイツ人のとてもかわいい女の子は、カナダ人の彼氏から殴られて飛び出してきていました。同じ部屋にいたもう一人のヨーロッパ出身の女の子と一緒に「絶対戻っちゃダメだよ!と説得したのですが、翌日外出から部屋に戻ったらいなくなっていました。テーブルの上に「話を聞いてくれてありがとう。楽しかったわ。」というカードを残してくれていました。確かに三人とも能天気なタイプなのか?全く暗くならず、ゲラゲラいろいろな話をして笑ってはいたのですが。。旅先でなかったら友達としてその後も相談に乗ってあげたり、彼氏に一言言ってあげたりできたのになーと。
南イタリア出身のコックさんと南アフリカ出身のお医者さんとは、二晩続けてメキシコ料理店に飲みに行きました。前の晩あまり楽しくて、今夜も行こう!という話に。何がそんなにおかしかったのかな?とにかくずーっと三人で涙を流しながら笑っていた記憶があります。でも、コックさんの方がイタリアも差別があって南イタリア出身の自分は北イタリアでいじめられたと話していました。お医者さんの方も南アフリカの黒人の男の子でしたから、いろいろとあったかもしれません。当時はアパルトヘイトが撤廃されてまだ二年くらい。みんな、幸せだといいなーと今でも時々思い出します。
私は外国人の人達から助けられたことがあり、この経験から言葉のわからない国で汚い者達に利用され、挙げ句の果てに悪者にしたてあげられ、日本で誤解を受けてしまったアメリカ人ティーチャー達のことをほってはおけないのです。これも90年代後半のバンクーバーでの話ですが。。
ある日の夕方、バスの中で立っている私の方をチラチラと見ながら一人の白人のおじいさんが「日本人学生達は親のお金で留学しているくせに日本人同士だけでくっついているから、いつまで経っても英語がしゃべれない。」と周囲に響くほどの大きな声で独り言をいうのです。それを聞いて他の乗客達も私の方を見ながらニヤニヤ。。バンクーバーでは珍しく、そのバスの中は私以外は全員白人。それまで「バンクーバーの人達は偏見がなくて優しいなー」と思っていたのですが、「あら。。皆でこんな目で見たりするんだ。。」とショックを受けました。人々の視線を感じ、うつむいたまま私は自分の顔がどんどん赤くなっていくのを感じていました。
心の中では『でも、私は違うんだけどな。。でも、それをここでそれを言ったら、このおじいさん、大勢の前で大恥を掻くことになるだろうし。。ま、いいか。。』と思いながら立っていたのです。
すると、私の隣に立っていたカナダ人の友人が見かねて「Sir,彼女は週に5日間働いていて、今もその帰りなんです。彼女は彼女の親からお金を出してもらってではなく、自分で働いてお金を貯め、カナダにやってきたのですよ。」と相手の機嫌を損ねないよう丁寧に説明してくれたのです。どうもそのおじいさんの声が大きかったのは耳が遠かったからのようでした。それで、私の友人は彼にわかるよう、バス中に響き渡るくらいの大声で、しかも、ゆっくりと話すことに。そのおかげで乗客全員が「そうだったのか。。」と真実を知ることになったのです。
やはり自分に身に覚えの無いことで誤解されるのは嫌でしたから、うれしかったです。ですが、喜ぶような態度もあまり取りたくは無かったので、自分が降りるバス停が来るまでずっとうつむいたまま立っていました。私の友人はあっさりした人だったので、降りた後も何事もなかったかのように別の話をしました。
私は昔から本当に悩みがなさそうな甘えた女性に見えるらしく。。実は日本に帰国してからも、また似たような目に。。実家に戻ってからスーパーで買い物をしていると、見たこともない中年女性から「あんたは親のお金で二回もカナダなんか行って!もう二度と行くんじゃないわよ!」といきなり怒鳴りつけられたのです。「自分のお金で行ったんです!」と言いたかったですが、そんなことを言えば逆恨みされてうちの両親の育て方が悪いだのなんだのと噂を流されるかもしれませんからぐっと堪えました。そもそもそのおばさんは一体どこの誰なのか、一体どういう噂が流れているのか。。おそらくうちの母が町の小さな郵便局から送金をした時にめずらしいことなので注目を浴びてしまったか何かです。ですが、私は自分の郵便局の口座から自分で貯めたお金を送ってもらってと頼んだだけだったのに。。あのおばさんは自分の人生がおもしろくなくて、海外に行った私が憎たらしかったのかもしれません。かわいがられて育ったように見える(実際にそうでしたが、甘やかされてはいません。)のもなかなか大変で、知らない人から八つ当たりされることが多いのです。
若い頃に桜木町駅の改札前で募金をしたら、「たったの500円か!災害を受けた人達がどんなに困っているか、考えないのか!」と若い男性から怒鳴られました。ですが、私はすでにその災害の募金を既にあちこちでしていたのです。そんな場所でケンカをしたらお年寄りや子供が怖がりますから、もう黙っていました。ああいうやつがいたら、他のボランティアの人達に迷惑がかかります。自分は正義だ、自分はえらいと思っているのでしょうが、幼稚ではた迷惑。
郵便局でクレジットカードの申し込み受付をしていた時は若い男性がいきなり近づいてきて「あんたはこんなバイトをしていいと思ってるのか!俺は自己破産したんだぞ!」と怒鳴ってきました。私のすぐ隣に会社からやってきたおじさん達が二人も立っていたのにわざわざ私に八つ当たり。数十年前ですからクレジットカードがどういうものかわかっていないまま買い物をしたのか、当時問題となっていた会社が発行した金利がものすごく高いカードを作って使ったのかは知りません。私がその時扱っていたカードは郵便局と提携したもので一応信頼できるものだったと思いますし、新しいものでしたから、なんの関係もないはずです。要は、本人が○○。自分のことしか考えないで生きているのでしょう。「私が知るか!」と言いたかったけれど、バイト中でしたし。。
なぜこういうことを話すかというと日本のスピリチュアルの世界でも同じような被害に何度も合ったからです。何人ものヒーラーが私の話を聞く前からお説教してきたのは、私を旦那のお金で遊んでいる甘えた専業主婦だと勘違いしたからではないかと。それで憎らしくて「こんなやつからは、いくらでもぼったくってやれ!」、「こんなやつには厳しく説教してやる!」とやられてしまったのではないかと。真実は全く違うのに。。私は手に職つけようと考えて、若い頃からコツコツ貯めた自分の養老保険を使って学んでいたのです。
私がスピリチュアルの世界を見ていてもっとも危惧したのが、野心家のヒーラー達が政治と結びつくこと。彼らの多くは神社巡りをしていることが多かったので怖くなりました。神社が悪いと言っているのではなく、利用していたやつらがいるということです。あるヒーラーはどこかの国の政治家かトップかとつながりがあるらしく、国賓レベルの扱いで結婚式に招待されたとか。そのことをわざわざセミナーで話して最初に威圧するのです。何回セミナーに行ってもその人のヒーリングで奇跡が起こった話など一度も出ませんでした。たった一回不思議なことが起こったようですがヒーリングとはなんの関係もないこと。しかも後で知ったのですが、その人は数年間たった一つのその話をあちこちで繰り返していたようなのです。彼の信者の一人が出版した本に同じ話が書いてありました。すごいヒーラーだと噂が立ったら、周囲は洗脳されてしまって後は簡単にことが進むようになるのでしょう。ヒーラー達の中には自分には『日本の神様』や『宇宙人』や『龍』や『○○姫』が付いていると言って、自分自身や自分の教祖を只者ではないかのように見せているタイプが多いです。心配しすぎかもしれませんが、彼らが力を与えられたら日本は戦時中に逆戻りするぞと感じました。そんなことは絶対に起こらないようにしないと。
このHPは、日本を世界をよりよくしたいという思いでも作りました。私はなんの力もない、その辺の普通の人なので草の根レベルでです。そのためには、お互いを『個』として見ることが大切だと思うのです。(スピリチュアルの中には他の人達と意識を共有するような世界もあるのですが、メリッサ・ジョイさんは他者との境界線を持つことの大切さを教えています。)
また、私は『平和ボケ』は無邪気に明るく生きることだとは思いません。それに罪悪感を感じるのは良くない。そうではなく、戦争について、そして、その悲惨さについて何も知らない、学ばないことの方だと思います。
私がひと夏だけお世話になった古式泳法の先生は若い頃、フィリピンに船で送られる直前に終戦となったそうです。遠く離れた他県から故郷まで歩いて一か月。。その時の記憶は、まったくないそうです。
また、私は若い頃、長崎で原爆の被害を受けながらも生き残られた90代のご兄妹から食事をごちそうになったことがあります。彼らはちょうど英語を学び始めたばかり。習いたての言葉を使って、アメリカ人の若者達に楽しそうに話しかけていましたが、そのチャレンジ精神には驚かされました。
それから、カナダのバンクーバーに滞在中、友人に誘われていった食事会で(これまた)90歳の日系人の女性とお話しする機会に恵まれました。白人のお友達ばかりらしく、「日本語はもうすっかり忘れてしまってね。」と言いながらも、急に戦争が始まり、日系人収容所に連れていかれた時の話を一生懸命にしてくれました。
あるアメリカ人女性はドイツ系だとは知っていたのですが、ある日、自分は実はユダヤ系で父親はアウシュビッツの収容所から逃げ出したんだと打ち明けてくれました。彼女がそんなに大変な人生を送っていたとは知らず、本当にびっくりしました。話を聞きながら私は涙がこぼれてしまったのですが、彼女の方は泣きませんでした。ただただ、淡々と話してくれました。
この人達は戦争の被害者で苦労だらけの人生だったはずですが、彼らの中に外国人を憎んでいる人達はいませんでした。それどころか、全員が趣味や芸術を通しての友人を持っていたのです。皆さん、笑顔がとてもチャーミングで温厚な方達でした。
この方々とは特別な活動を通してなどではなく、本当にたまたま偶然出会ったのです。
私は平和な時代に青春時代を送れてのんびり育ちましたが、大人達のおかげで平和にいつも感謝して生きてきました。今度はその恩恵を受けて大人になった私達が平和を守るべき。日本人だからこそ、そして、私達の世代だからこそ考えられる発想、生き方、考え方などがあると思いますし。
原爆が投下された場所で長年カトリックの神父をしてらしたアメリカ人男性と少しだけお話したことがあります。笑顔を見せない怖い感じの人だったのですが、私は映画を観るのが好きだと話してみました。すると、怖い顔のまま「ただ観るだけではだめだ。観て何を感じたかが大事だ。」と言われました。まだ二十歳そこそこだった私はその時はお説教されたようで嫌な気持ちになりましたが、何か心に響いていたようです。それ以降、映画の見方が変わり、今になると、大事なことを教えた頂いたなと思います。その後、私は東京に行ったのですが、90年代前半のミニシアターブームと時期が重なり、世界各国の社会問題が扱われた映画や第二次大戦について描かれたドイツ制作の映画などを数多く観れることとなったのです。ハリウッド映画も反戦映画に力を入れていてベトナム戦争物をたくさん観ましたが、トム・クルーズの『7月4日に生まれて』の上映が終わった後はしばらく椅子から立ち上がることができませんでした。あんな経験は他にはありません。その後、クリント・イーストウッドが『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』を両方を作ったことに感動しました。フェアだと思ったからです。
それから、このページの上部に書いたことの繰り返しになりますが、大事なことだと思うので。。
私は『シャドー・メーカーズ』を観た時、あの映画に出てくる研究者達が日本人ヒーラー達と重なりました。自分のやっていることを人を使って実験したいという欲望を持つヒーラー達から実験台にされたからです。理由はわかりませんが、『シャドー・メーカーズ』が日本では映画館では未公開だったようですが、私はあの映画を作った人達は精一杯の勇気を出し、後悔できるよう工夫して制作したのではないかと感じました。(近年、『オッペンハイマー』という映画が公開されたようですが、そちらはまだ観ていません。)
Matrix Energeticsと出会って、それまでの常識がひっくり返りました。それでも、変化が速いとすぐ元に戻るんじゃないか?スピリチュアルで楽しいっていいのかな?など戸惑いや迷いもありました。しかし、様々な理由で私にはすぐの助けが必要で、変化に時間がかけられないことが多かったのです。そして、心から楽しめる何かこそ私が必要とするものでした。
ハートフィールドって『最っ高!』なのです。感情とは別レベルの「よろこび」、「純粋な愛」、あるいは「単に愛」の世界です。それはもうバンバン湧き出ているんです。
Matrix Energeticsの本当のすばらしさはその美しさ!だれかを笑顔にしたかったら笑顔でがんばろう!先生達を見ていたら、そんな風に生きているように見えました。彼等は天才というより努力家で、選ばれた人というより「誰かのために何かができたら」という思いできっと進んできた人達です。だったら、もしかしたらこの私にだって何かできるかもしれない!そう思えました。
私が参加し始めたのは、日本で二回目となる2012年9月のセミナーからです。(第一回は、同年1月。)
あの大震災の翌年で放射能汚染の状況もよくわからず、日本中がまだまだ不安な空気に包まれていた頃です。
さすがにマトリックス・エナジェティクスのティーチャー達もやってくるのは勇気が要ったのではないかと思うのです。
あらゆる意味で、普段よりさらにいろいろと試されることになりますから。
その頃の私は横浜に住んでいたのですが、余震がずっと続いており、かわいい我が子をどうやって守ろうと毎日緊張していました。既に二年ほどあれこれとセミナーを受講していたのですが、偉そうにいろいろと語っていた日本人ヒーラー達が次々とブログを閉鎖し、雲隠れしていくのをみて、スピリチュアルを疑うようになっていたのです。
会場には当然、「どうして罪のない人達が大勢、犠牲にならなくてはならなかったのか?」とやり場のない悲しみを抱えていたり、「なんとかできないのか?」とティーチャー達に質問する人達もやってきていました。
ティーチャー達にとっては相当なプレッシャーだったはずですが、彼らはいつもまっすぐに相手の目を見、精一杯の誠意を持って彼らの質問に答えていました。
彼らは有名スピリチュアル・ティーチャーである以前に、とても温かみのある人間です。
彼らは私達の目の前でびっくりするようなことをさらりとやってのけ、おもしろいことを言って大いに笑わせ、会場はとても明るく楽しい場となっていました。
私は信じられず、自分のほっぺや太ももを何度もつねってみたのですが、夢ではなかったのです。
彼らと出会えたおかげで、「本当のスピリチュアルは、この世に存在するのか!世界にまだ希望はあるぞ!」と元気が出てきたのです。
そして、「この二人がやっているものだったら、マトリックス・エナジェティクスというのは信頼できる!私もがんばって、いつか彼らのように人々を励ませる人間になりたい!」と強く思いました。
スピリチュアルは、試される世界です。『ロード・オブ・ザ・リング』という有名な映画をご覧になったことがありますか?あの中に出てくる指輪の魔力のようなものが誘惑してきて、ほとんどの人間はそれに打ち勝つことができません。世界的に有名なスピリチュアル・ティーチャーになれる人はだからこそ、少ないのです。私にとってDr.バートレットはガンダルフにそっくりでした。そして、メリッサ・ジョイは森の奥方様。私は彼女が次のステップに上がる時、指輪の力を克服するのを目の前で目撃した気分でした。だから、彼女はこの世に新たにM-Joyフィールドを生み出すことができたのです。
二人はすごいですよ。スピリチュアル系の人達の方がそれに気づけません。それでいいのです。
マトリックス・エナジェティクスは元々善良な弱者達味方として、この世界に生まれたもののはずですから。だから、私は大好きなのです。
それから、ティーチャーの二人はおもしろくて冗談がわかる、あっさり、さっぱり、はっきりした性格です。彼らは絶対に誰かを縛ったりしません。スピリチュアルの世界で初めて、「この二人とだったら、友達になりたいなあ!」と感じた人達です。当然、彼らのことは心から尊敬していました。そうでなければ、弟子入りなどしません。ところが、実はいろいろとありまして、私は2016年12月から出入り禁止になっています。
「なんで、私の方なんだよ!もうスピリチュアルなんか、信じるか!くそったれ!!」と悔しくて悲しくて泣きましたが、全体を変える必要があったためにすべては起こったのでしょう。
メリッサ・ジョイもDr.バートレットもただいつもニコニコ笑っていた私が陰で人の何倍も努力していたことに気づいていました。また、とっくの昔に汚いやつらのことには気づいていて、彼らからいじめられていた私を助けようとしてくれていました。このことを話しておかないと、ティーチャー達がおまぬけだと思われてしまいますので。。
本物のマトリックス・エナジェティクスは深い変容を起こし、人間達の想像を遙かに超えて大きく変化を起こします。なんたって、ゼロポイント・フィールドにアクセスするものですから。それにハートフィールドはとっても素晴らしいのですよ!下にあるのは、私のハートがしゃべった言葉です。
マトリックス・エナジェティクスは、
まさに『変容の芸術科学』。
この世界の背後には、量子世界。
人間の私達の中には、ハートフィールド。
ドロップダウンすると身体はあらゆる回転を感じます。
無、溢れる喜び、グレイス。。
その感覚を表現するのにもう言葉は足りません。
ハートフィールドはすべてとつながった世界。
独りよがりの世界ではなく、よろこびの世界。
子供じみた願望実現の世界ではなく、成熟した世界。
表面的な浮ついた豊かさの世界ではなく、
未来にまで何かを残せる確かな愛の世界なのです。
マトリックス・エナジェティクスは
奉仕精神から生まれたものです。
辛い現実に生きる人の力になろうとするものです。
公正公平と秩序は大前提の、
品格ある自由を皆で謳歌するためのものです!
自分の人生は、自分の責任で。
自分次第で、自分の望むところまで。
自分に正直に、それだけでなく他人にも正直に。
生きていれば、皆、それぞれいろいろある。
もし後悔があるなら、
そのエネルギーは誰かに優しくすることに使おう。
精一杯生きよう。
できるだけ美しくあろう。
人は時に無力だけれど、
愛に何ができるかやれるだけやってみよう!
この世に希望をつなごう!
マトリックス・エナジェティクスは、
そう私達に語りかけている気がします。